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マンスリーレポート

2008年11月

「見えているということ」

 

皆さんもし飛行機に乗る空港でこんなアナウンスがあったらどう感じるでしょうか?
「うまく行けばハワイに着く飛行機が○○ゲートから間もなく出発いたします」
この飛行機に乗る人はまずいないでしょう
なぜか?
リスクがあるからです。
事前に目的地に着くかどうかわからない乗り物に、ましてや飛行機(落ちたら死にます)に誰が乗るでしょうか?
(目的が)約束されていないことに対して、スムーズな判断が出来ないのは当然のことでしょう。
この飛行機の場合はもっての他で、リスクを負ってまでどうしてもハワイに行く理由がなければ乗ることは決してないでしょう。
多くの人が目的を達成出来ないモノ(コト)に対して“試そう”という人はあまりいないでしょう
そう、普通は目的が達成出来そうな場合にしか・・、少なくても極めて高い確率で達成出来るという確信がなければそれにチャレンジしようとはしません。
つまり目的が「見えている」場合にしか新しいアクションが起きないし、そのモチベーションも上がりません。
だから「見えている」ということが大切です。
だから、確率や可能性を高めようとするならば「見えている」状態にする必要があります。
「見えている」という状態になるためには「見えるようになる」ことが不可欠ですから「見える」ための努力、鍛錬が必要だということです。
私がここで言いたいことは「見えている状態」は自らつくっていくことが大切なことで、「見えている状態」を受身で待っていたりしてはいつまで経っても見えてこないということです。
壁の前に立って、壁をじっと見詰めていても(壁の)向こうは見えてきません。
壁を登ってみる、壁の横に回りこんでみる、壁に穴を開けられるのかなどと考えながらしてはじめて壁の向こうが見えてくるのです。
つまり、主体的にアクションを起こさない限り「見えてくる」ことはあり得ないということです。
「見える」とは・・・
「みる」には色々な意味があります
「見る」から始まって「診る」「観る」「看る」「視る」などなど
文字通り、目に見える「見える」だけでないことはおわかりになるでしょう。
モノゴトや事態に対して、どう感じるか、どう読み取れるか、どう予測出来るか、そんなことも含めて「見えているか」です。
視野が広いとか深いとかいうこともさながら、度量や器量が大きいということも含まれてくるのではないでしょうか?
「経営者の器」という言葉をよく耳にしますが、ここでいう器は当然のことながら器量や度量のことに他なりません。
私はいわゆる社長になって10年近く経ちますが、以前は「社長=経営者」だと思っていました。
しかしそれがイコールではないということに最近気付きました。
社長はいわゆる「会社の長」ですからそれは事実として私は社長であることは間違いありません。
しかし経営者となると、それは会社なり組織のマネジメント=経営という機能をしっかり果たしているかどうかということになるのだと思います。
いくら社長であっても、きちんと経営しているかどうかというとそうでない場合も多いし、現に最近の話題で言っても食品、耐震などの「偽装事件」や「横領」などといった事件、事故がいわゆる「社長」といわれている人々から端を発しているケースも少なくありません。
「経営」という概念、その大切なことは、
「会社の行く末、方向性、ベクトルといったものをしっかり明示し、それを仲間と共に共有している状態をつくること」
これが経営であり、経営者の果たす責任であるということであることに確信に近い感覚を持つようになりました。
社長が社員と共に現場で汗をかき続けて仕事をし続けている姿は素晴らしいのですが、かと言って、その社長が将来を見据えていない、または見えていないとどうなるのでしょうか?
話を家族に置き換えてみますと・・・
親は子供の将来を考えて、それにあわせた人生設計を組んでいくのが本来ではないでしょうか?
今日食うのに困るので子供も働かせるのが当然で、それが美しい家族愛だと思っている家庭は、少なくても今の時代ではほぼ皆無ではないでしょうか?
(そういえば先日、子供が使った電話代が高いからといって、自身で働いて返せといって売春させた親が逮捕されていました。そんなやるせない事件もありはしましたが・・・この家庭がまともになるとは到底思えないです)
親の役目は、子供を一人前に(どんな状態が一人前かはその親が考えるものです)すること。
それと同様、会社の経営者の役目は、その組織を将来どうしていくのかをしっかり描き、メンバー達に共感を与え、そしてそれに向かって共に歩んでいくことを求めていくことです。
私はそれが「経営」、まさしく経営者の役割だと思っています。
そこに一緒に歩んでいく同志(社員)は大変貴重な組織の資源であることは間違いありません。
その資源を活かすも殺すも、経営者の思想やビジョン次第。
そこが魅力的でないと人は離れていきます。
「見えていない経営者」に人はついてくることはありません
昔ある先輩に言われました
「上ばかり見ていると足元に落ちているイヌのうんちが見えない、かといって下ばかりみている
と上から舞ってくる札束が見えない」
経営者は下からも、上からも見えていなければいけないのだと思います。
というか優秀と言われる経営者はおそらく「見えている」のだと思います。
「過去の経験などから未来を描き」
「今の現実から将来の展開を見据える」
「また起こるであろう未来から現実を捉える」
「身近な出来事から何かを感じ取る」
様々な角度や尺度から「見る・観る・診る・視る・・・」
見えていない親(経営者)の元に居る子供(従業員)は将来どうなるんでしょうか?
悪い親から、素晴らしい子供が出る例がありますが、それはまさしく反面教師などの様々な過程を経て成長する稀な例です。
それもそれでよいのですが、良い親から悪い子供はまず出ないといわれています。
だから、そもそも自分の子供がきちんと育つか心配している親が居ますが、そんな心配する前に親は自分の心配する方が適切なのです。
親がしっかりしていれば子供もしっかり育つわけですから・・・。
会社も同様です。
かくいう私も、恥ずかしい思いがありますが、時に従業員の資質や能力などを嘆いたりしている部分があります。
しかし根本的な話、根源、問題は全て経営者、そう自分自身の課題!
自分のことばかり考えている経営者の元には、社員もそんな人ばかり
金儲けのことばかり考えている経営者の元には、社員もそんな人ばかり
好き勝手なことをやりたい経営者の元には、社員もそんな人ばかり
素晴らしい会社には素晴らしい経営者が居て、そして素晴らしい社員が居ます
そこには素晴らしい理念があります
経営者も従業員も会社の行く末、目指す方向が「見えている」のです。
必ずしも明日の売上(の上下)、今年の利益(損失)に一喜一憂していない、そんな企業を目指したい!
「見えている」ということ
これが経営者の役割、いや“責任”なのだと言う確信に至りました!
 
長田 一郎