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マンスリーレポート

2010年03月

「見切りと見極め」

 

経済評論家の勝間和代さんが旬ですね!
氏の自立した生き方を指南したことに共感している人(主に女性)を称して「カツマー」といわれているそうです
氏の言の中で「見切りをつけたことに見返りはない」とありました
要は「逃げたこと、回避したことは100%失敗で、逆にやってみればどんな難しいことも可能性が開けるかもしれない」ということ
仕事でもプライベートでもうまくいかないことがあっても、そこにしっかり向き合うことを諦めたり、思いを押し隠したりして「見切り」をつけることで無理やり自分を納得させてしまう。
会社や職場、プライベートで言えば他人に矢印を向け相手をおとしめてまで「自分を正当化する」
そんなことありませんか?私の場合我を見返してみても残念ながら心当たりがあります・・・
さらに・・・
このように回避する気持ちや失敗を恐れる心は実は失敗そのものよりも始末が悪い・・
なぜなら見切りをつけなければ100%よりも失敗の確率は下がりますし、仮に失敗してもそこから学習することで次回からうまくいくかもしれない
従って何もせずに初めから見切りをつけるのはまさしくわざわざ100%の確率で失敗する方法を自ら選択しているのと同じであるということです。
「すっぱい葡萄」というイソップ童話の話しです
キツネがたわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去る。
そんな話しです、もっと解説すると(Wikipediaによると)
手に入れたくてたまらないのに、人・物・地位・階級など、努力しても手が届かない対象がある場合、その対象を価値がない・低級で自分にふさわしくないものとみてあきらめ、心の平安を得る。フロイトの心理学では防衛機制・合理化の例とする。また、英語圏で「Sour Grapes」は「負け惜しみ」を意味する熟語である。
正に「自己正当化」することで「自分を守る口実をつくり」、そして「やらない正当な理由」をあえて見出し、しかしその結果として「チャレンジしない」ことで新たな自分を閉ざしてしまう。
残念な話しです・・・
私もホロ社を創業して、こと仕事に関して、また経営者としてはたくさんの失敗を積み重ねてきました
そもそも何が失敗で何が成功だったのかが判別できないくらいです
しかし色々アタマを整理してみるとやはりその場面場面で「自己正当化」して「やらなかった」場合(場面)のことについては後悔していることが多いような気がします
確かに色々失敗したり、困窮を極める場面もありましたが「見切りをつける」際でも熟考して「決断」したものは結果的に今の糧になっているものが多い
「見切りをつけたことに見返りはない」
これは「やらずして見切りをつける」という「やらずして」という枕詞がつくことを忘れてはいけません。
「失敗」を「実験」ということに気持ちを置き換えることはかなり重要なことだと思います
「初めてやることを試しにやってみると必ず失敗する」
こんなことは誰でも知っています、初めてやることなのですから・・・
失敗を恐れるのか、実験、試作ということで居直る?開き直る?気持ちは何か新しいことに挑戦する、または何か自分が新しいステージに上がるときには必要な「気持ち」だと思います。
見切りをつけるのは実際にチャレンジした後でも充分間に合います。
見切りを見極めて、結果として「見切る」という決断があってもよいかと思います
「見切りを見極め、その結果、見切る」というのは一か八かの決断ということでしょうが、その「見極めようとする」そのプロセスが大事
「一か八か」というのは「危険な賭け」でもありますからそれを避ける(もしくは避けたくなる)というのが心情ではあります。
しかし、何かをつかむためには必ず通るべき至難の過程が必ずあるわけですし、その過程を踏み込まずして「“つかみたい何か”という志」を得られないのではないでしょうか?
また何かを決断する場合「正しいか否か」の選択ではないように思います。
「やるかやらないか」(その意志がどのくらい強いかどうかを迫られる)の選択です。
「やる」ことで自ら「正しい」ことに導いていくことが決断の極意なのだと思います。
つまり「意志」の強さの度合いが事態を左右すると言ってもよいのでしょう
「決断する選択をしない」ということは「志」を閉ざす、諦めることに他なりません。
しかし、そのような人が圧倒的に多いのも世の常なのだと思います。
バンクーバーオリンピックでフィギアスケートの日本人男女、高橋大輔選手と浅田真央選手の両選手が見事メダルを獲得しました
この二人、残念ながら金メダルを取れる実力はありましたがそれには及びませんでした。
しかし素晴らしいのは、演技を保守的にまとめてあえてどの色でもよいからメダルを取りにいくのでなく、最高峰である金メダルを取るために、またこれまでの自分をオリンピックの大舞台で100%以上の力を発揮するためにあえてリスクを侵して今の自分の出来る限りのこと、またそれ以上の技に挑みました。
つまり「志」を選択したわけです。
結果としては頂点ではありませんでした、すなわちこの選択はもしかすると見方によっては「失敗」だったのかもしれません。
ものすごく悔しがっていました。
しかし彼らは「やる決断」をして後悔したでしょうか?
おそらく後悔はしていないのではないでしょうか?
むしろ挑戦しないことを選択した方がよっぽど後悔したのではないでしょうか?
それを見ていてその悔しさをしっかり受け止められる力、そして気持ちをすぐに切り替えられる力には想像を絶しました。
すぐ次の4年後のオリンピックに向いていました。
競技の中で「技術的な失敗」はあったのかもしれませんが、自身の志に迷いがないからおそらくこれは自身の「糧」になることでしょう
だからこそ一流のアスリートといえるのだと確信しました
私はスポーツ界のアスリートではありませんが、ビジネスの世界においてもアスリート的な資質というものは必要でしょうし、またその資質の差が経営力の差、または会社力の差に現れてくるような気がします。
私自身、様々な素晴らしい経営者に触れる機会があるたびに、自分の無力さ、不甲斐なさを痛感することあります。
マゾヒストではありませんが、経営者に限らず自分より優れている(と感じる)人と出会うと感激や刺激を受け、自分がまだまだと感じるわけですが、そんな叩きのめされるそんな自分が嫌であることはありません。
むしろ、叩きのめされることに向き合っていくほうが好きかもしれません。
そんな思いを持って日々、世間の波を受けながら、目を背けずに向かっていくことで自然に自己成長をしているとめでたく感じながらこれからもやっていこうと思っています
 
長田 一郎