2013年03月
「役割と責任、求める資質」
今年に入って何度か来年の新卒採用にあたっての会社説明会がありました!
恒例になっていますが、そこでお話する最後に「求める人物像」というのがあります!
これは、ホロ社として求める人物像というか、私が思う、どこであっても社会人として生きていく上で必要な資質だと思って話しています!
3つあります!
ひとつが「バイタリティを持った人材」
これは元気があるとか、パワーあるとか、勢いを感じるとかといった見た目的なことではありません!
ひとこと「考えていることと行動することの溝(ギャップ)を埋められる人」
私を含めて大多数の人がこの「考えている」状態から「行動する」までには大きな溝があります!
「考えてるんですけどね~」「こんなことやりたいんですけどね~」「こう思ってるんですけどね~」というのが常套句です!
しかし、実際そのうちどれだけの確率で実際「思ったことに対して行動を起こしている」でしょうか?」
私はバイタリティがある人というのは、この溝を埋められる人なのではないかと思います。
もっとも適しているのはどんな人でしょうか?
「子供」です!
「思った通りのことを、思った瞬間に行動に移す」ことを「もっともたやすく」やってのけてしまうのは子供かもしれません!
直観を信じて即、動くことのできる・・・・それがいわゆるバイタリティのある人なのだと思います
2つめ「自分軸を持った人材」
これはいわゆる「矢印を自分に向けられる人」です
学生さんたちには言いました
「時間がなかった」「〇〇が出来なかった」という言葉を私たちはよく使ってしまいます!
「時間がなかった」この文脈は妙です!
なぜなら時間は主語ではないからです!
時間はあります!少なくても1日24時間年間365日、子供も大人も、大統領から一般人まで誰にも平等に与えられているものが時間です!
だから、「時間がない」のでなく時間をなくしてしまった自分があるだけです!
主語は自分です!
そして「〇〇が出来なかった」これも〇〇が主語ではありません!
出来なかった当事者は自分です!
もっと言えば「できなかった」のでなく「やらなかった」
そう考えるとすべての理屈が通ってきます!
だって「出来る人」と「出来ない人」が居るのですから・・・
今東進ハイスクールの名物先生の「いつやるの?今でしょう!」・・・あの林修先生が言うには
「この難解問題を終えるためにはその決められた試験時間では足りません!」という生徒に言うそうです!
それは「時間が足りないんじゃない、時間内に終えるための(君たちの)訓練が足りないだけだ」
これも主語は自分に、矢印を自分に!ということの教えに他なりません!
社会に出ると、矢印をよそに向けたくなることばかりです!
そりゃ大変です!
しかし矢印を他に向けていても何も事態が変わらないことは自明なことです!
3つめは「創造的思考を持った人材~カタチのないものを描ける人~」
これを伝えるときはこう言いました!
「そんな人居ない!」
そもそも先なんて見える人なんていない、預言者じゃあるまいし!
それは誰でもそう!! 国家のリーダーである総理大臣だって先なんて見えてない!!
見えているなら今のような?課題を抱え続ける社会になっていないはずです!!
では、“見えないなら見ようとしても、いわゆるカタチのないものを描くなんてことは意味がないのか?”“。。。。というと、そんなことは決してありません!
やっぱり「見ようとする努力をする」ことが大事であるし、常にアタマに汗をかく必要があるのだと思います!
そもそも「見よう」としなければ見えてきません!
暗闇の中でも、一点集中して見詰めていたらそこが明るくなって見えてくるなんて現象がよくあります!
目が慣れてくるのですから、当然です! しかし見ていなければ、見ようとしなければ決して見えてきません!
だから「見ようとする」姿勢が必要です!
アタマを使うこと大事です!
大体、体を酷使して死んでしまう人は世の中には居ますが、“頭酷使して死んだ”なんて話は聞いたことはありません!
会社には寿命というものがあるそうです、また起業した会社がどれだけ存続しているかという指標もあります!
起業して10年経過した後、その会社がその社名のまま残っている確率は5%くらいだそうです!
買収、合併その他の理由で残っている確率はもう少し高いようなので、必ずしも95%が倒産しているわけではありません、
それでも倒産や解散,清算されている会社は70%くらいだそうです!
ではその起業した社長は起業したときに10年後になくなってもいいと思って起業している社長は居るでしょうか?
まず居ないと思います!
つまり先なんて見えないんです!
強い志もって起業した人であっても同じです!
だけど、先を見ようとする、そして繰り返しますが自分の直感とか、魂を信じることが本当大事なのだと思います!
さて、話は変わるののですが、昨年のロンドンオリンピックで印象的だったことのひとつが水泳男子団体メドレーでの銀メダルです!
個人での金メダルを最も期待され、また高い可能性を秘めていた北島康介選手がメダルすら獲得できず最後のメドレーリレーに臨みました!
そのメンバーには、その競技前にすでに個人でメダルを獲得した背泳ぎの入江俊介、バタフライの松田丈志などの後輩たちがいました!!
もっともメダリストに近い北島選手がこの最終の団体メドレー競技まで結果が出せずにいたわけです!
結果、このレースで結果銀メダルを獲得したわけですがレース後の松田選手のインタビューで語っていました。
「レース前に、絶対!康介さんを手ぶらで日本に帰すわけにはいかない!って他のメンバーと話していたんです!」と・・・・
素晴らしい逸話ですがここに、人として資質を問う重要な要素が詰まっていると思いました!
それは「役割と責任」の話です!
この4人のアスリートはメダルを獲る責任をそれぞれが100%背負っていたのだと思います!
4人全員ひとりひとりがメダルを獲ることに責任を持っていたということです!
100%の目標を4人で分担していたのではありません!
ひとりひとりが100%、つまり400%のパワーでも持って目標に向かっていたのです!
ひとりひとりは自身の得意とする競技を100メートルずつ泳ぐ、これは「役割」です
入江選手が平泳ぎは出来ませんし、北島選手がクロールで泳ぐことは出来ない、つまり「役割」はそれぞれあるのです
それぞれの役割を100%果たす、しかしクロールだけ役割を果たしトップであっとしてもメダルを獲るという責任が果たせるわけではありません!
責任感というのは、つまり自分の役割を全うするということではないのです!
高い志、また利他の精神など崇高な想いがきちんと一致して、それそれが自分の役割を全力で果たすことは勿論のこと、他のメンバー、またチーム全体の勝利、もっといえば国家(日の丸国家を背負って)に貢献していくことに対してどれだけ強く思えるかどうかが重要だということです!!
スピリッツの問題です!!
夫婦でも同じですが、夫婦での役割、夫は外で狩りに(ビジネス)、妻は洗濯に・・(家事など)というのは役割です!
子育てというのも役割というのがあると思いますが、しかし子を育てることに対する責任、また家を守るという責任は夫婦両方にそれぞれ100%同じようにある(子供が倒れたらそれは妻の役割だからといって放置することはまずないでしょう、)
・・・・しかし、その責任意識にかい離が出るとおかしくなります!
なのでスポーツでも家庭でも同じようなことは、実は会社の組織や、現場のチームでも同様なのだと思います
自分の役割だけ果たしていればいい、そんな人の集まった組織は決してうまく機能しません!
ひとりひとりが全体の責任を負う
ラグビーでも
「ONE FOR ALL ALL FOR ONE」
という精神があるようですが、
まさに「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」
これが責任なのだと思います!
私は、自分を含めて「求められる人の資質」の究極はこの辺にあるのではないかと思います!
バイタリティも、矢印を自分に向けることも、先を創造していく姿勢も必要ですが、やっぱり「責任感」もしくは「使命感」ということが最も尊いコトなように思います!
この責任感、使命感のとらえ方は大小あったり、それぞれの考えや位置があったりすると思いますが、この感性を磨いていくこと、また磨き続けることは本当に大事なのではないかと思っています!
そしてそれが最も自分の成長を高めていく近道だと思います!