経営理念

HOME > トップメッセージ > マンスリーレポート

マンスリーレポート

2011年07月

「希望と信頼」

 

東北の大震災から4ヶ月近く経ちました
復旧にはまだまだ時間がかかる中で私たちでもきることをしっかりやっていかなければいけないと感じています
今回の震災を機会に色々考える機会を得た人はたくさんいると思います
改めて「絆」の大切さ、またその言葉について見詰めなおした人は私を含め多くいるのではないでしょうか?
「絆」や「つながり」、「共感」そういった言葉は従来からホロ社がうたっていることでもあります
「つながりをつくり、絆を深め、共感の輪を広げるコミュニティ創造企業を目指します」
そう明確にうたっています
今こそ、その言葉や概念に対する理解や取り組みを深めていくことが大事、そしてそれがホロ社の事業になっていくことが大変重要なことなのだと思います。
震災が起きたことで、人として大事なことを見詰めなおすことがかなった一方で、政治の対応などから「希望を失う」機会も増えたのではないでしょうか?
もちろん政治不信だけが希望を失う原因ではありませんが、日本の将来、私達の将来というものに対する希望が視界不良になってきているのも実際のところではないでしょうか?
希望の持てる社会とは「信頼、安心して託せる未来」です
かつて、このレポートでも「人生最大のコストは信頼しないこと」と書きました
信頼しないのか、信頼できないのかは別にして、「信頼しない(出来ない)」ことで生じるコストは半端ではありません。
例えばお金についていえば・・・
銀行でも「お金を貸す際にその人(会社)に対して金利がつきます」
これは信用の大きさによって変動します
信頼(信用)のないひと(いわゆる信頼できない人)には負荷が大きくなります
また当然お金を貸す際に審査をしますので、審査するにもコストがかかります
またそれに伴い、管理するコストもかかります
まったくもって信頼できる聖人君子みたいな人であれば、審査する(される)必要もありませんし、管理する(される)必要もありませんし、なんたって聖人君子ですからとりっぱぐれもないでしょうから金利も安い(というか要らない)ので、信頼する(される)人にはコストはかかりません。
コストはお金の話しだけではありません
タイム イズ マネーと言われるように「時は金なり」
そう、時間もお金同様に大きな資源、一方「コスト」でもあります
時間をかけて何かをしらべる・・・調べるのは、わからないからとか、それに疑義があるから、などなど、結局信頼された情報やデータかどうか、または信頼に値するかどうか調べたり考えたりするには時間が必要です
これまた聖人君子から発信されたものであればその時間を要することはありません
労力もコストです
また「疑う」ことで生じる時間や労力もさながらですが、「疑う」ことで精神衛生上の負荷もかかります
これもコストです。
会社の管理部門というのは基本、社内の中で行われていることを監視する役割があります
監視するにはお金も、人も、労力もかかります
信頼が前提の社会や組織であれば、監視する(される)必要はありませんから、コストは限りなくゼロに近づきます
しかしそんなうまい話はないのです
家族の絆が強い家庭は、その関係づくりにお金も、時間も、労力もかかりません
(というと語弊があるかもしれません・・・家族の絆の場合はそれを築き積み重ねてくための価値感(ベクトル)あわせにお金や時間や労力をいとわないということを家族皆が合意しているということなのかもしれません)
昔の日本の家では鍵をかける習慣がなかった、というか江戸時代くらいまで「カギ(鍵)」という製品どころか、概念すらなかったのではないでしょうか?
今、鍵は当然のこと鎖までかけているところもあります、またセコムたる会社まであります
鍵かけて鎖かけてセコムまでしたら当然コストが嵩んできます
やっぱり「信頼おけない社会」ではコストがかかるのです
またセコムの類の企業が繁栄成長しているということですから、それは信頼が失われている社会に向かっている証拠でもあるのかもしれません
会社には「理念」とか「ビジョン」といったものがあります
いわゆるCI(コーポレートアイデンティティ)といわれるスローガンみたいなものをつくる会社も多いです
それは何かと言うと、社員のベクトル合わせです
「方向性、向かっていく目的や目標」を社長含めた全社員が共有する、いわば「約束ごと」と言い換えてもよいでしょう
普遍的なものであるともいえるでしょう
しかし今、世の中、ことビジネス社会では変化が激しい中で企業の経営が行われています
普遍的なことが揺るがされることが躊躇なくおきています
なので、自分の周辺環境の変化が起きている中で、自身がそれに応じて変化をしていかなければいけないというのが通説になりました。
周辺環境が激しい今を認識、理解した上で、自身は変化をしないで生きていく道を選ぶというケースもあるでしょう。
しかしその「変えないという意思決定」も周辺環境の変化を見据えた上でのトップやリーダー、またはその人自身の判断や決断であれば、それはやっぱり「変化に対応した結果」といえるのだと思います。
そんな周辺環境の劇的変化の中、それに伴う行動や思考の変化をすればするだけ、いわゆる目標を共にする、または共に戦う仲間達とに生じる価値感や方向性のズレを常にあわせておく必要があります
向かおうとしている方向があっていないと、いくら偏差値的に優秀と言われるような人材であろうと、それは全速力で違う方向に走っていっているようなもので、すると全く組織は機能しません
なのでベクトル合わせをしていくことは大変重要で、すなわちそれがCIの基本的な考えともいえます。
もっといえばそれは「信頼関係を築くツール(道具)」といえるでしょう
そんなものは私が創業した間もない、まだ数人の組織、と言うか仲間というかチームの時はさほど大きな声で唱える必要ありませんでした
毎日のほとんど、家族と共にする時間、もっといえばプライベート時間以上に仕事に向かっている、または共有している時間も多い同士が同じ、場所、場面、時間を共有しているわけですから必然的に信頼関係は育みやすい
当然「あうんの呼吸」が育みやすい・・声をあえて発しなくてもOKだったのです
2人3脚であればさほど足並み揃えるのは難しくありません
しかし、よくテレビで30人31脚レースの大会みたいなバラエティ番組などやっていますが、それもそれまでどれだけ足並み、というかチームワークを育むことが大変か想像はつきませんが、大変なことは容易に想像つきます
そんなものではないでしょうか?
“信頼残高”という言葉を聞いたことがあります
銀行の預金通帳に記載されるのは預金の残高=預金残高
それと一緒です
信頼残高は、その相手と共にする時間が長いとたまりやすいとも言われますが、そこが結構微妙です!
子供の頃に共に過ごした友達と数十年ぶりに再会したとき、同じ部活で同じ目的(甲子園出場!とか)を共にした仲間とは仮に数十年ぶりであっても、またかりに共有していた時期が短くても(高校時代3年間だけとか・・)それは異様なまでの信頼関係が築けていることを実感する場合がありませんでしょうか?
一方利害によってつながった仲間とはいくら、長い間つきあっていても、その信頼関係というの
が強まることがありません
カネの切れ目は縁の切れ目とも言いますように・・・
そんな世知が無い、希望を失いつつある今の時代に必要なことは「真の信頼関係を築くこと」なのではないでしょうか
信頼を築くのは難しいことです
大概が「こっちが信頼しようとしてるのにあっちが・・」
こんな現象ありませんでしょうか
簡単に言ったら、今の国家間の関係もそんなものです
契約や条約で結ばれなければ関係すら築けません
昔の仲間同士との絆に契約や条約もありません
そんなものに縛られません
ここまで書いてきて改めて、私(たち)は矛盾の中で生きていることに気づきました
理想と現実、二律背反の中で生きています
利害にまみれて経営をしています
しかしそれも受け止めた上で、本当に希望の持てる社会は信頼のおける社会、信頼のおける人間関係なのだと・・・そしてそれを目指すことが大事なのではないでしょうか
この“信頼しないこと”によってかかるコストは莫大です
それを下げていくことに個々人が真摯に向き合い、志向することで多くのざまざまな問題が解決していく、それだけは間違いないのだと思います。
人が神様に希望を持つように、神様に対して(疑うことなく)信頼するように・・・到底神を語る資格も私にはありませんが、“神がかること”を目指すと究極なのかもしれません!
希望の持てる社会、信頼関係が成り立つ社会を目指す(戻す?)ことを大志に抱きたいと思います