2014年07月
「創業力」
ホロ社の体質改善を促すということは、それは私自身を「変える」ということでもあります。
15年程の月日が経ちますが、創業者が社長としてやっている会社です。
創業の頃、つまりそれは「原点」でありますがその頃とは一体どうだったのか、それを今考えなくてはいけないと思っていました。
先日リクルートの方より、偶然にも(必然なのかも・・)それに応じた話しを伺うことが出来ました。
そこで、今ホロ社、また私自身に必要なことはこの「創業力」なのではないかと思いました。
それは何か!!という話しですが・・・・5つの視点があるということでした。
① 人の可能性に対する信頼が場にセットされている
私の理解では、これはまさに創業の原点!というか、当時としては必然的なことでした。
5人で始めた会社ですが、その頃は皆が一丸になって何かに向かっていました。
現実も共有していました。
だから、(人に対する)評価もなければ、出来る出来ないもない、不平も不満もない、誰かに矢印を向けることもない
「あいつは能力ないから・・」「なぜ出来ないんだ!」「どうしてあいつはこうなんだ!」みたいな話が出ない
様々な角度から可能性を皆が模索する、皆が同じように探究をするからそこには仕事に対する相互の信頼関係が成り立ち、相互扶助の精神が無意識・無条件で培われていたように思います。
その人に能力があるかどうかなど関係ない、目の前の現実を直視し、(今居る)人の可能性に賭ける、(今居る人が)なんとか出来るように可能性を引き出すことに尽力する。
だから、「~のせい」「あいつダメだ!」みたいな発言は勿論のこと、そんな発想もありませんでした。
すなわち、信頼するしか選択肢がない中なので可能性を広げることだけに自然と邁進していました。
② 現実の共有(事実の共有×本意、想い、感じたことの共有)が、自然になされ役割を決めて動いていた
まさに「やりぬく」しかないわけです、一方でやろうとしている想いと現実にギャップがある・・・
ギャップが生じるというのは「理想と現実の乖離」…2人3脚で足がもつれながら走るあの状態です。
・・・・「地に足がついていない」「目測を誤った状態」、もしくは「先が見えていない」わけですから、それを埋めるだめにはそれぞれが役割に対してオーナーシップを張っていかなければ追いつかない
社長という役割を持った私は、思い切って任せていくしかない。
まさに「無人島に放り出されて”ここには旨いものはないのか!“と不満を言うはずはない、上司部下もない!」・・・という話しと一緒です。
つまり「現実」を直視し、そこから生き残る、勝ち残る術や方法を編み出すために仲間と協力を始めるはずです。
ギャップに対する「なぜ?」はありません。
だから「どうやってやり抜くか!」しかない空気感です。
「こいつにはこれが向いている、むいていない」などという見立てなどしている場合でもないのです。
「これはお前、それは君、あれはオレ」という具合に必要な役割に人を担わしていく
その人に相応しい(向いている的な)キャラクターやパーソナリティを前提に役割を与えることはありません。
創業当時に必要だったこと、それは社長も社員、関係者も仕事における「あうん」の呼吸みたいな一体感です。
そこに「私のさじ加減」や「私情」などありませんでし、ありえませんでした。
そういえば、毎日のように飲みに行っていって常に自然にベクトル合わせをしていたのもその頃かもしれません。
現実・事実・実態の共有と、でもこんな風なことしたい、こんなになりたい!という願望や希望・・・を交錯させながら、またそんなギャップを理解しながらもそれを埋めようという意志を持ってメンバーと語っていたような気がします。
③ 方向性が明確である
方向性といってもそれは売上とか利益といった規模、目指すべき(なのであろう)カタチではなかったです。
今で言う、ビジョンとか経営理念といった崇高なものでもありません。
なんというか、価値観とか行動する上での感覚・・・つまりそれは「好き嫌い」「やりたいこと、やりたくないこと」です。
これは「譲れない」「これは絶対ダメだ!」「これはいい!」「それおもろい!」といった感情・感覚の基準です。
「だってそれってダメでしょう!」という、まさに正しいか正しくないのか、損か得かという客観的基準でなく「気持ちいいか悪いか」みたいな主観的な「気持ち」を明確にして共有をしていくことを自然にやっていたように思います。
④ 問題解決思考<突破口思考
上記①②と同様なのだと思いますが、これも「困難」から思考するのでなく「可能性」から思考することにかなり傾倒していました。なぜなら創業の頃は、基本何もないのです。
カネは勿論、人だって、モノだってない・・・・事務所だってない、従ってデスクも備品もない。
だからそんな問題に焦点を当てても解決しない。
デスクも備品も、盗難してくる手前くらいのモラルで調達し、事務所だって間借り、人は今居る人でやる。
極端な話し、採用するためのカネだってないわけですから、ナンパさながらに声かけてある意味騙して連れてくる・・・「人間であればOK」あとはこっちで何とかする!!くらいの気概だったと思います。
まさに「突破口」を見出すことしかありませんでした。
問題などは前提として存在していたわけですから・・・
⑤ 夢がある、お客様、お取引先、従業員に夢を渡している
これだけは今振り返ってみると後悔していることはたくさんあります。
なぜならそれが出来ていたのであればその頃のメンバーは今でも残っているであろうからです。
ただ、私含めた5人の内ひとりは私のかみさんで、2人は今でも飲みながら語るような関係です
そして取引先の皆ではありませんが、今でも取引させていただいている関係者はたくさんでないまでもいてくれています。
それらの先様はもはや「同志」と言っても過言ではありません・
その頃は立派なビジョンも理念もありませんでした。
「~すべき」とか「~せねば」という言葉もありませんでした
ただ「想い」とかこうしたいといった「願い」などはあり、それを毎日のように、仕事中、合間、後などにずっと語っていたように思います。
「創業力」という言葉とその5つの視点に触れて、改めて自分自身を振り返ってみましたが、とても腑に落ちるものが多かったです。
その頃、ライバルと思って戦っていた相手はあまりありませんでした。・・・というか意識の中で相手と競っているという感覚は希薄だったように思います。
何に必死になっていたのでしょう??
思い返してみると、それはいかに「自分達のやっていることを世に対して支持される!」とうことだったように思います。
新しい概念、あり方などを築いていくような、そしてそれが「正しいものなんだ!」という気概でやっておったように思います。
まさに参考書のない中で独自の路線を走っていたように思います。
他が何をやっているかはあまり関係ありませんでした!見習わない(私たちがやらない)事例として参考にしていたくらいでしょうか・・・。
なので他社の動きには関心を持っていましたが、それを強く意識してそれに対抗策を講じようなどと考えたことはありませんでした。
むしろ、他社がやっていることと違うことをやろうぜ!!といったスピリッツでした。
これまで私は「好き嫌い」でモノを判断していると思ったことはありませんでした。
しかしこの「創業力」ということを思い返してみて、今、そしてこれから・・やりたいことを展望していくと、極めて「好き嫌い」でやっている、「好き嫌い」で判断していることが多いことに気づきました。
改めて今「創業力」を見詰めなおし、それを発揮させる時期だと思っています。
それはまさに「好き嫌い」という源流に目を背かない、むしろそれを原動力にして突き進む力なのではないかと思っている次第です。
そうであっても私を含め「スタッフそれぞれの好き嫌い」が飛び交い、蔓延る組織であってもいけません。
そうではなく、「好き嫌いが共有され共感される組織風土」を築いていく。
それが「創業の力」なのだと思います。
今まさにその絶好の機会だと思って突破力思考を発揮したいと思っています。