2015年03月
「門出のご挨拶」
セトレグラバーズハウス長崎が開業しました。先月でも書きましたが、4店舗目のセトレです。
成長や進化の指標には「店舗の数」というものがありますが、
今回の出店はそんな「数・規模の論理」とは違う進化があり、それが次のセトレを展開する礎になってくるものと思っております。
関係者が多く集まるレセプションが行われましたがそのご挨拶の際にお話したことをここで書き綴りたいと思います。
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このたびはセトレグラバーズハウスのレセプションに足をお運びいただきありがとうございました。
今回はセトレとしての4店舗目、関西を出て九州で展開することは初めてのことになります。
こちらのホテルは、これまで20年以上に渡って「マジェステックホテル」という名前でこの地で君臨されていました。
長崎独特の歴史や文化溢れる遺産群に取り囲まれたこの場所柄からリゾート、観光といったニーズを持った、いわゆる県外の旅行客が主体のホテルでした。
ホテルというカテゴリーでもいくつかに分類されますが、
セトレはいわゆるこの旧マジェステックホテルのような「観光ホテル」「リゾートホテル」でもない、
また一般的ないわゆる「シティホテル」でも「ビジネスホテル」でもない、私たちはこれを「コミュニティホテル」と謳って開発してまいりました。
コミュニティホテルというその軸は「地域の資源を発掘、発信、その共感からつながりをつなぐという行動」がなされていることです。
今回の取組みは遡ること3年程前に、地元のタクシー会社「ラッキーグループ様」の川添専務からお声かけいただいたお話でした。
川添氏とは中学校の頃からの友人であります。
そんな仲間と四半世紀ぶりの再会によってスタートしたプロジェクトでありました。
まずはこの偶然の御縁に感謝申し上げたいと思います。さて、今回の取組には2つの特徴、こだわりがあります。
ひとつは、前回びわ湖のプロジェクトでもご一緒した、東京の家具メーカー「ワイスワイス社様」からの呼びかけで長崎県産材を活用した家具作りをしたことです。
ラウンジのカウンターには多良山系の栗の木、家具は島原のセンダンの木、カウンターにある小物などには「上五島の椿」名刺には「雲仙ヒノキ」などを活用しています。
是非、本日スタッフから名刺をもらって上げてください。
そしてその取組に「県・市」などの行政から強い理解と協力、支援がありました。
県内の木材という資源を活用すること、それが林業の活性化につながっていくという強い担当者の方の想いがありました。
そして今回さらにわかったことがございます。
県産材を活用する、いわゆる「素材」だけがその地域の資源だということでなく、
この家具を作製いただいた「川端装飾様」の技術・・・・これが重要でした。
長崎は造船の街ですから、造船の際の船舶の家具づくりが盛んです。
船舶の家具は船揺れすることが必至なわけですから当然強度が強くなくてはなりません。
その強度をつくる技術は、職人の技です。
そんな職人が居る(要る?)のも長崎の地域独特の資源なのではないかと思うのです。
いわゆる「技」という無形資源に気づき、そんな方々とつながりを持って取り組めたことに大変意義を感じています。
2つめは、季刊誌「楽様」とのコラボレーションによって実現した「楽ラウンジ」です。
私たちはHPなどを通じて「ホンモノの長崎」を標ぼうしています。
よそ者である「ホロ社」がそもそもこの「ホンモノの長崎」を語る資格はないわけですが、それを表現できたことは「楽」の糸屋社長との出逢いなくしてはありえません
歴史、文化、伝統、習慣など、長崎の背景を知ることで探究心が出てくるだけの深みがこの地にあることに気付いてきました。
長崎放送の塚田キャスターからインタビューで「ホンモノの長崎とは?」との問いに、
私は「表層的ではない、そんな知的好奇心から知るその深みある土壌から出てくるものが長崎のホンモノ」と答えました。
その横で当事者である糸屋社長は、まさに上から目線でこうおっしゃりました。
「ホンモノの長崎って何か?・・・というより長崎の街がホンモノそのものだから!」と・・・・
その話を伺いながら、「楽」自体が追及している内容そのものが「ホンモノ」なのだと思い、感じ、いわゆる既にある、
でも気づいていないそんな大事な文化・風習・歴史などを、掘り上げてそれを発信し続けていく・・・・
そんな姿勢そのものが「ホンモノの長崎」なのではないかと思いました。
まさに「シビックプライド」(自分の住む町に対する愛着や誇り)のある土壌
・・・・換言するとその「精神性」こそが地域の貴重な有形・無形の資源・資産なのだと思います。
またそれをこのライブラリーで、書物として表現して下さったのが「たてまつる」の髙浪夫妻でした。
ホロ社は、そんな土壌、根っこをもっともっと引き出せる存在になりたいと思っています。
またそんなことに共感される人たち(ホンモノ)との交流を促させる場になりたいと思っています。
よそものだから出来ることがたくさんあると思いました。
地元のみなさんは勿論、幕末、とりわけ坂本竜馬のファンならば誰でも知っていると思いますが、
当時、いわゆる「龍馬のパトロン」であった小曽根幹堂氏という方がこの地に住んでおりました。
その時代から数えて4代目の小曽根吉郎さんが、今でもこの坂の上でお住まいです。
毎日シェパードを連れてこのホテルの前を散歩されています。
そんな吉郎さんが、先日新しくなったこのグラバーズハウスのラウンジにふっと顔を出してくださり、この書物の数々を見て、ご自身と奥様が書かれた本を寄贈してくださいました。
その時の言葉が「こんなライブラリーなら、(自分の本が)合うと思うから持ってくるよ!」でした。
ありがたい話です。
またここで勤める、スタッフの松尾は、なんと昔幼少時代、グラバー園で住んでいたそうです。
昔、三菱重工から市に寄贈された際に松尾のお父様が市の職員として、グラバー園の管理人として住みこんでいたそうです。
そんな話も、これまた長崎の街の独特な逸話であり、資源でもあると思うのです。
今回、そんなたくさんのコンセプトに共感いただいた方々の手でこの新たなコンセプトホテルが出来上がりました。
超多忙な中「橋本夕起夫さん」にデザインをしていただき、地元の「長崎船舶装備様」に内装を造っていただきました。
エントランスまわりの植樹は「森の風カンパニー様」の古賀社長が、それこそ皆様方から寄贈いただいたお祝いの草花で施していただきました。
本当にたくさんの方々の共感と協力によって出来上がった「みんなのホテル」です。
私たちの使命は、そんな「想い」をつなげることです。
ここに足を運んでいただくお客様にこの想いをつないでいくことだと思っています。
こんな挨拶をさせていただきました。
前回のレポートで「セトレはホテル」でなく「セトレはセトレ」としたいと書きました。
「宅急便といえばヤマト」「セコムはセコム」といったように、社名が業態のように表現されていることは稀ではありますが、いくつかの事例があります。
「セトレはセトレ」ないしは「コミュイティホテル」という業態が一般的になることで新たな市場が切り拓かれるのだと思います。
これまでセトレは出店場所のベースが「ロケーション」でした。
ロケーションがよくて、ブライダルの市場がある場所(ということはそこそこの都市部、居住地区)という基準がありましたが、しかし最も重要な軸は、
その地に優れた、ヒト・モノといった資源があること、しかしそれらの資源がまだまだ陽の目を当てられていない
(もしくはもっと評価されてもよいであろう)状況のある街、でも、シビックプライドのある街
そんな地域から「是非!セトレをやってほしい」といわれるくらい、いわゆる「必要とされるようになること」
その地域にとって必要とされ,請われて、だから出店する、そんな事業モデルにしていきたいと思うようになりました。
ここまではなんとしてでも成し遂げたいと思います。